今日は、自分を行動へと突き動かすものについてのお話です。
スキルやノウハウよりももっと大事なものがあります。
これまで自分の内に秘めていたことがあります。
今回、あなたの参考になることが少しでもあればと思い、自分の子供の頃の体験を告白します。
悲劇の始まりはスイミング
私は小さい頃から、とっても活発な子供で目立つ存在でした。
常に人の中心にいる、ひょうきんな性格で、サッカーチームでもソフトボールのチームでもキャプテンを務めていました。
そんな私には、4つ離れた年上の兄がいました。
兄はどちらかというと、根暗な性格で決して目立つようなキャラではなく、スポーツもそこそこ。
私とは対称的な性格でした。
そんな兄にも、唯一自信を持っているものがありました。
それは、水泳。
親からスイミングスクールに通わせてもらうようになり、のめり込んで行きました。
その姿に影響を受け、弟の私も「自分もスイミングやりたい!」と親にねだって同じスイミングスクールに通うことになりました。
兄がやっている習い事に、後から弟もやり始める。
実によくある話ですよね。
でも、これが私の悲劇の始まりでした。
兄の後からスイミングを習い始めた私は、どんどん進級・飛び級していきました。
ついには、選手育成コースにも入りました。
これは、未来のオリンピック選手を養成するコースです。
2,000人程の中から選ばれたとのことで、親は当然に大喜び。
私に期待を寄せ、全面的にバックアップをしてくれました。
実兄から受けた虐待
でも、面白くないのは私の兄です。
自分が唯一自信を持って取り組んでいた水泳でしたが、それすらも弟に追い越されてしまったのです。
ここから兄から私への執拗な虐待が始まりました。
私は同級生とのケンカでは負け無しでしたが、小学生における4つの歳の差はあまりにも大きかったです。
毎日ボコボコ殴られて、青アザだらけでした。
殴られたことを親に告げると、2倍返し3倍返しでまたボコボコにやられます。
恐怖で体が震えていました。
今こうして書いていても、当時のことがフラッシュバックしてきます。
私が兄から殴られていたのは、兄よりも勝ってしまって生意気だったからです。
兄は兄なりにスイミングを頑張っていたつもりなのでしょう。
でも、私からすれば「並みの努力」しかしていないように映りました。
弟の私からすれば、なんで兄からこんな目に遭わされるのかわかりません。
納得のいかない私は、兄に向かって行きました。
でも、何倍にもなってボコボコにされる。
この繰り返しでした。
こんなことを繰り返しているうちに、水泳への情熱は失せていきました。
殴られながら芽生えた感情
私が小学6年生のとき、高校生の兄にボコボコに殴られていたとき、私の中に一つの強い感情が芽生えました。
それは、
「今に見てろよ!」
「なめんなよ!」
という感情です。
これまでの私の反応は、「殴られる→泣く」の繰り返しでした。
でも、その感情が芽生えて以降、私は殴られて泣くということは一切しなくなりました。
「泣くもんか!」と固く心に誓ったのです。
そして、「今に見てろよ」「なめんなよ」という感情は、私の人生の中でことあるごとに、自分を突き動かすエネルギーになりました。
もうお気づきの通り、人を行動へと駆り立てる原動力は、スキルやノウハウじゃないんですよね。
人を行動へと駆り立てる最大の原動力は、心震えるほどの感情です。
感情には、例えば
- 欲望
- 恐怖
- 勇気
- 快・快感
- 怒り
- 嫉妬
- 後悔
- 希望
- 感動
- 好奇心
- 責任
- 悲しみ
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などいろいろあります。
私の場合は「怒り」の感情がエネルギーになっています。
「今に見てろよ」
「なめんなよ」
という反骨心に満ちた感情。
これが自分の根底にあるからこそ、会社で理不尽にパワハラされたり干されても、心が折れてうつ病になったりすることなく、やってこれたのかな・・・と最近思うようになりました。
自分を突き動かすものは?
ここまで読んでくれてありがとうございました。
あなたも、会社生活が続けていると理不尽な扱いをされたことが、1度や2度ならずあることでしょう。
その時、あなたはどんな風に感じましたか。
どうなりたいと感じましたか。
そこに向けて、どんな行動を取りましたか。
それとも行動できませんでしたか。
なぜ行動できなかったのでしょうか。
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