※今回は親の死に直面したときのことをストーリー風に書いていきます。
深夜1時12分。
寝ていたベッドの横に置いていたスマホの着信音がけたたましく鳴った。
発信者は、父が入院している病院。
ついにきたか・・・
特に驚きもしなかった。
スグに飛び起き、人差し指で画面をスライドさせる。
「はい。」
「心肺停止になりました。スグに病院へ来てください。」
身支度を整え、病院に向かう。
病院へ向かう道路は普段なら渋滞していてなかなか進まないことが多いが、午前2時過ぎのこの時間であれば、ほぼノンストップで移動できた。
病院に着き、病室に入ると、既に父は息を引きとっていた。
覚悟していたが親の死に直面した際ににもたげた感情
こうなる覚悟(心構え)は事前にできていた。
というのも、つい3日前に担当医に呼ばれ、あと数日の命になると知らされていたからだ。
人生の終わりを迎えようとしている父に、息子としてできることは何か。
頭に浮かんできたのは、やはり孫に(私の子ども達)に会わせることだった。
3ヶ月にも及ぶ入院生活であったが、コロナ禍で面会もろくにできなかった。
オヤジは孫を何よりも可愛がり成長を楽しみにしていた。
まだまだこれから・・・と思っていたが、それももうできそうにない。
だから、孫たちに会わせることが最期の親孝行だ。
そしてこれは、子ども達にとっても、人間が死んでいく場面に立ち会う絶好の機会、とも私は考えた。
病院に打診したところ、本来であればコロナで面会は一切認められないのだが、特別な配慮をしてくれた。
これはとてもありがたかった。
その翌日。
子ども達を病室へ連れて行った。
ベッドの側には、心拍数の動きが表示されるモニターがあり、父の口には呼吸器が取り付けられていた。
もう、父は話すこともできない。
私の子ども達は最初、つい数ヶ月におじいちゃんと会ったときと様子がまるで違うことに少し戸惑っていたようだ。
「オヤジ、オレだ。わかるか?孫を連れてきたぞ!」
「戻ってきてくれ!」
私の呼びかけに返事をすることはなかった。
オヤジの口に酸素がゴーゴーと注ぎ込まれていたが、オヤジの呼吸は弱々しかった。
子ども達の手を取り、父の手を一緒に握る。
「もうすぐ、◯◯◯(娘)の誕生日なんだからさ。」
「早く退院して一緒に祝ってやってくれよ!」
もうそんなことは叶うこともないだろうと思いながらも、
そう呼びかけてみるしかなかった。
「おじいちゃん、◯◯◯だよ!」
小1の娘も声を掛けた。
父はもう声を発することもなかった。
だが、ひとつ奇跡的な出来事があった。
父が視線をこちらに向け、手を握り返していたのだ。
手を握り合ったなんていつぶりだろう。
きっと何十年も前の幼稚園生くらいの頃のはず。
もう遠い記憶すぎて覚えてもいない。
その翌々日の深夜、冒頭に書いたとおり、オヤジは息を引き取った。
数日前はモニターで波打っていた心拍数の表示は0となり、アラートのようなものが虚しく鳴り続ける。
親の死については、覚悟をしていたし、心構えもしていた。
だから私は、きっと泣くこともないだろう、と考えていた。
しかし、自分の目から涙が込み上げてきた。
これは悲しいというよりも不思議な気分。
「えっ?オレ、まだ涙なんて出るんだ・・・」
という驚きの感情もあっただろう。
じきに、その日の当直医が病室にやってきて、オヤジの顔を覗き込む。
そこから、おもむろに手に持っていたスマホの画面を確認し、こう告げた。
「午前2時13分、死亡を確認しました。」
私に向かって一度頭を下げ、さっさと病室から出ていった。
私にとって身近な人間が亡くなった現場に立ち会うのは、今回が初めて。
こんなときに妙な疑問が頭に浮かんでくる。
・イマドキの医師は死亡時間を確認するのにスマホを使うんだ。
・死亡時刻というのは、実際に息を引き取った時間ではなく、医師が確認した時間なのか。
・なんだかずいぶんと形式的なもんだな。
・・・そういうもんなのか?
医療の現場では、こんなことは日常的に起こっているだろうし、そういうもんなのかもしれない。
ただ、どことなくぞんざいに扱われているような気もした。
が、今さらその医師に「失礼じゃないか!」と言ってみたところでなんにもならない。
現実の世の中では、もう次のステップへと進まなければならないのだ。
私はセンチメンタルな人間ではなく、どこまでも現実的な人間だ。
葬儀社を選んだ基準と遺体安置のリアル
夜勤の看護師から「葬儀社はお決まりですか?」と遺体の搬出について促された。
そう、病院としたら次の患者のために、すぐに病室を明け渡してもらわなければならない。
ここからが怒涛の如く時が流れていく。
葬儀やその後の手続きなど、全く初めてのことばかり。
まず、予め資料請求して下調べの上決めておいた葬儀の手配サービス会社へ電話を1本入れる。
こうすることで、その手配サービス会社から連絡を受けた地元の葬儀社が遺体の搬出にやってくる、という仕組みだ。
小一時間もすると、葬儀社がやってきてベッドから担架に遺体を移し、病室・病院を出る。
外は雨。
時計の針は、午前4時近くになっていた。
母は疲労が溜まっているようだったので、病院から家に帰した。
そして私だけが遺体を安置する葬儀場へと向かった。
クルマで流れる深夜ラジオ放送で、時刻が4時になったことを知る。
葬儀場へ到着すると、遺体は既に安置室に運ばれていた。
そこで焼香を済ませ、一旦自宅に戻って体を休ませた。
遺体安置にドライアイスではなく冷蔵庫を選んだ私の理由
ちなにみ、遺体の保存方法には、
- ドライアイス
- 保冷施設(冷蔵庫)
- エンバーミング
エンバーミングとは聞き慣れないものだが、遺体の血液を、防腐液に入れ替えてしまう方法とのこと。
長期保存が効くといったメリットがあるが、費用が高額といったデメリットがある。
おおよそ、遺体の保存だけで20万円という目安をネットで目にした。
小さな家族葬で数日後には火葬されることになるのに、これを選ぶ価値を感じなかった。しかもこれは一般的ではないはず。
ドライアイスか保冷施設(すなわち冷蔵庫)で安置するのがほとんどではないだろうか。
父の場合は、保冷施設(冷蔵庫)をあえて選んだ。
なぜなら父が生前に要望していたからだ。
ドライアイスは、1日につき1万円程度と最も安いというメリットがあるものの、接触部分が凍ってしまったり遺体が変形してしまったりする恐れがあるそう。
遺体になっているので、冷たいもなにもないはずですが、どことなく可愛そうな感じがした。
その点、保冷施設であれば、いわゆる冷蔵庫ですので温度が一定に保たれ、ドライアイスのようなデメリットはない。
実際にこれを選んでみて正解だったと確信している。
将来自分が亡くなるときもドライアイスではなく、冷蔵庫にしてもらいたいと思ったし、人にもおすすめしたい方法。
ただ、この注意点は全ての葬儀場が安置用の冷蔵庫が備わっているわけではないということ。
そもそも、冷蔵庫がない葬儀場を選んでしまうと、ドライアイス一択になるだろう気をつけたい。
葬儀を準備する上で私は、個別の葬儀社を頼むのではなく、葬儀の手配サービス会社をまず選んだ。
そしてそこと提携している葬儀社で葬儀を行うことにした。
なぜなら、大切な人を送り出す葬儀場が小綺麗なところでも、そうとは言えないところでも、安置室がドライアイスしかないところでも、冷蔵庫も備わっているところでも、料金は同じだから。
であれば、小綺麗なところで冷蔵庫があるところを、予め資料請求して下調べしておきたい。
そうしておけば、いざというときに慌てず、間違った選択をして後で後悔するようなことはないはず。
父の遺骨と対面して人生の折り返しを迎えた40代男が考えたこと
葬儀は、友引(※)の日を避け、4日後に行われた。
※「故人が仲の良かった人を冥土まで引き連れてしまう」という考えに基づき、友引の日の葬儀を避ける習慣があるという。
普段深く考えることもなかったが、そういうことらしい。
葬儀といっても、コロナで世の中が不安な時期でもあり、オヤジを含め誰もが大規模な葬儀は必要ないと考えていた。
葬儀もかつてとだいぶ様変わりしている模様。
これまでは「通夜→告別式」が一般的であったが、近年は「告別式のみ」というのも珍しくない。
ということを考慮し、身近な親族で家族葬を執り行う事になった。
葬儀は、12時から開始。
葬儀は僧侶がお経にお経を読んでもらうことから始まる。
告別式の小さな家族葬であるため、初七日の法要(※)も葬儀の日に行った。
※亡くなってから7日目の最初に行われる法要のことで、これも一般的になりつつあるよう。
小1時間が経過し葬儀を終が終わる。
棺を開けてオヤジの周りに献花。
このときが実質オヤジの顔を拝む最期の機会となった。
このときに再び涙が込み上げてくるのかと思ったが、意外と淡々としていた。
その日は平日だったが、13時過ぎに火葬場につくと次々と霊柩車が火葬場に到着する。
ほとんど名残惜しむ間もなく、火葬する扉の前で僧侶や葬儀社の取り仕切りのスタッフに促されるままそそくさと焼香を済ませた。
正直何の感傷に浸る間もなかった感じ。
そこからまた小1時間待合室で待機。
火葬が済んだというアナウンスで呼ばれて、元の場所まで行ってみると父は骨になっていた。
葬儀が始まって父が遺骨になるまでは、ベルトコンベアに乗っているかの如く流されるがまま。
遺骨になるまで実にあっけない。
母を含め感傷を浸っている者は誰もいなかった。
人間誰しも最期はこうなるんだな。
父は80で逝ってしまった。
私は40代となりもう人生の折り返しを迎えている。
父が他界した歳まであと30数年ということを考えてみると、人生は案外短いと感じた。
聞きわけのいい従順な社畜のままで、このまま命を削っていくのはあまりにももったいない。
遺骨になった父を前に思ったのはそんなこと。
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