コロナがきっかけで、例えば事務系・営業系の仕事は会社(オフィス)でやる必要がないことに多くの人が気づいてしまいました。
たとえば、
- 通勤って時間の無駄だ
- 会議なんてしなくても仕事回るわな
- ハンコを押すために出社とかアホでしょ
みたいに。
これまで、長時間かけて会議をやるとか、書類を届けに取引先に出向くとか、手間ひまかけてやってたわけです。
ところがコロナでこういったことが強制終了となり、一変しちゃった。
なんだかんだ言い訳して、やってきたことが意味ないことだってハッキリわかった。
そうなると、他のことだって「これ、やる必要ある?」って考え始める。
そこから、
「あれ!?オレ、このままでいいのか・・・」
っていう感情がもたげてくる。
それは、ごく普通で自然な感覚。
もちろん、従前型の会社に行くことが価値観のステイワーク型の人には、まず受け入れられない考え方ですが(笑)
今回は、「オレ、このまままで本当にいいのか?」と悩んでいるあなたに向けて「テキトー男で行け!」というお話をします。
このままでいいのか?と焦ったらテキトー男で行け!
このままでいいのか?と不安に感じたら、テキトーにやれ!というのが結論なのですが、ただ何も考えずにテキトーにやる「だけ」では当然ダメです。
どの部分をテキトーにやるのかをきっちりとわかった上で、テキトー男にならなきゃいけません。
そのために、自分がやるべきこと(=タスク)を以下の4つに分類して、思考を整理してみましょう。
(1)やりたくないけど、やらなければならないこと
(2)やりたくないし、やらなくていいこと
(3)やりたいけど、やらなくていいこと
(4)やりたいことだし、やらなければならないこと
これをマトリクスにすると以下のようになります。
やりたくない | やりたい | |
---|---|---|
やらなければならない | (1) | (4) |
やらなくてもいい | (2) | (3) |
ここから、テキトーにやるのはどれか、それはなぜなのかといったことについて、私なりの考えをお伝えしていきます。
(1)やりたくないけど、やらなければならないこと
会社員にとって振られる仕事の大半は、これに当てはまる。
「本当はやりたくないけど、やらなければならないから(仕方なく)やっている」のだ。
やりたくもないのにやっているのは、会社から給料をもらっているから。
給料がもらえないと、生活なたち行かなくなり困ってしまう。
だから、やりたくない仕事でもやっているんですよね。
お決まりのように35年の住宅ローンを組んで、がんじがらめの人も結構知ってます。
「仕事で選り好みしているようじゃダメだ」という人もいるだろう。
もちろんそれは否定しません。
私もかつては会社・上司から与えられた仕事は、完成度高く・素早く対応することを考えていました。
それが、上司・会社から自分が「できる」と評価されることにつながり、収入を増やす一番やり方だと考えていたからです。
ただ、客観的に捉えてみると、会社員の仕事は労働者の仕事なのです。
会社員としての仕事が評価されても、たいていは給料という名の賃金が少し上がるくらい。
働きによって「資産」がコツコツ積み上がり、積上げた資産がお金を生み出す仕組みにはならない。
ただ単に労働の対価として、給料(=賃金)をもらっているだけだから、いつまで経っても自分が動かなければならないということなのです。
会社の仕事は「これ、やる必要あるのか?」というものが多いです。
そんなことに時間を費やしていても、ただ時間を切り売りして給料という名の賃金をもらっているだけ。
だから、そんなものはテキトーでいい。
(クビにならないように)必要最低限のことはやる。
でも、残業とかしてまで素早く終わらせない。
いや、素早く終わらせてもいいけど、直ぐに優秀な労働者ぶりを発揮して「できました!」とか鼻息荒くして上司に報告する必要なんて一切ありません。
そんなことしたら、「むむっ、コイツはできるな」とか思われて、どんどん他の余計な仕事が振られてきますから。
飼い犬の「犬」みたいな発想はやめよう。
人生の時間は限られてるから、他のことに目を向けるべきだと思います。
ぐずぐずしている間に、人生は一気に過ぎ去っていく
セネカ (ローマの哲学者・詩人)
(2)やりたくないし、やらなくていいこと
「やりたくにないし、やらなくていい」ことは、ふつ~誰もやりません。
でも、現実には一定数います。
いやもちろん、それが本当に有益でみんなの役に立つものであれば、ありがたい。
ただ、やっかいなのは、上司からの点数を稼ぐのが目的になっている人。
例えば、A4の紙1枚に簡潔に要旨をまとめればいいものを、蛇足な情報が満載の10数ページにも及ぶレポートとか残業して時間をかけて作ってくる輩もいたりします。
上司がボリュームとか見栄えを見て、「◯◯くんのを見習って作ってくれ」みたいな展開が最悪です。
「いや、違うんだって。」
「そこに時間と労力をかけるとこじゃないだろ。」
っていうのはあるあるだったりします。
こういうのは、子どもの頃から、先生の言うことよく聞く優等生タイプに多いんですけどね。
私は真逆だったんで、そんなことはできません。
そして、今更変えようとも思いません。
(3)やりたいけど、やらなくていいこと
やりたいけど、やらなくていいものの典型は、趣味です。
誰かから強制されてやるものではなく、自分がやりたいからやっているものです。
「好きなことだけやりたい!」「趣味に没頭したい!」って人もいますよね。
これ、「やりたくないけど、やらなければならないこと」をやったり、「やりたくないし、別にやらなくてもいいけど」忖度してやったて時間を奪われ、疲弊しているからではないでしょうか。
今置かれている状況とは違う世界に行きたい!
という気持ち自体はわかります。
でも仮に「やりたいことがし放題!」っていう状態になったら、一瞬は嬉しいですがそう長くは続きません。
心から楽しめるってことはなくなっていくんじゃないかな。
1杯目のビールは最高にうまいですが、2杯目、3杯目・・・となっていくと1杯目のときのような感激はなくなっていくみたいに。
なぜ心から楽しめなくなっていくかというと、何かをすることの方向が自分にしか向いていないからじゃないかな。
これは言い換えると、「ベクトル」が自分にしか向いてないってことです。
自分にベクトルを向け、自分を充足(満足)させることはとっても大事なことなのですが、「それだけ」だとそのうちに充足感・満足感は減っていくもんです。
そのうち、キツくなっていくはずです。お金も出ていく一方ですしね。
だから、目を向けるべきは次に説明する「やりたいことだし、やらなければならないこと」なんです。
(4)やりたいことだし、やらなければならないこと
先ほどは「やりたいけど、やらなくていいこと」は、趣味なんかが典型で、ベクトルが自分に向いているという話をしました。
自分がやりたいからやっていると、ポケットからお金が出ていきます。
なぜなら、人が特に価値を感じていないのに、単に自分がやりたいからやっているだけなのですから。
それでは、もしベクトルが自分ではなく、他人に向けたらどうなるでしょうか。
「やらなければならないこと」は、他人にベクトルが向いています。
自分ではなく、他人を充足することを行うこと
そのために責任が生じること
これが、「やらなければならないこと」です。
それをやることで、ポケットにお金が入ってきます。
会社に強制されて行う労働者の仕事ではなく、あくまでも自分が主体で「やりたいこと」です。
限りある時間の中で、ここに一番時間を振り向けることを意識したら、私の場合はだいぶ変わりました。
複業でオーナーをやるようになって、
会社の仕事は最低限のテキトー男になりました。
会社の規則とかお作法をどんなに熟知したところで、
な~んにもならんし、積み上がらないことを
私はもう痛いほど味わってきたんです。
そこから、目先の給料を上げるという短期的な視点ではなく、
資産を積み上げるという長期的な視点に立つことによって、気持ちが吹っ切れました。
自分がやりたいからやる
それは他人にベクトルが向いている
責任を全うしたら喜ばれる
お金がダイレクトに入ってくる
「自力で稼げる」という充足感が生まれる
っていうサイクルです。
「やりたくないけど、やらなければならないこと」ばかりやっていたらあまりにももったいない。
限りがある人生で、ワクワクすることだけをやろう
『強運を呼び込む51の法則』 (本田 健 著/大和書房)
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