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はじめまして。
nobuと申します。
私は主に大企業(日経平均の採用銘柄)で働いてきましたが、自分で不動産事業を立ち上げます。
このページでは、
なぜ、安定性や社会的信用がある立場から、何の保証もない世界に足を踏み入れるのか
ということについてストーリー風にお伝えしていきます。
私の会社員生活は、順風満帆ではありませんでした。
むしろ、
自分が“不器用”である故に、
会社組織の論理・常識に翻弄されてきました。
カッコ悪過ぎ・ダサ過ぎ、な“黒歴史”そのもので、
今振り返っても胸が締め付けられる思いがします。
とても恥ずかしいので、
本当は表に出したくはありません。
ただ、痛い経験の中から得られた大事な気付きがあり、それらが自分自身の転機にもなったのは確かです。
なので、今回恥を忍んでお伝えすることにします。
全部本音で書いていますので、
上っ面をなぞったその辺のビジネス書を読むより、ずっと面白いと思います。
このページに訪問してもらっただけでも結構ラッキーかなと。
はじめに
この話をする前に、
最初に、私の自己紹介について
簡単な流れをお伝えすると・・・
=============
無名県立高校から難関私立大学入学・東証上場の大企業(日経平均の採用銘柄企業)就職。「人生開けた」と“勘違い”のはじまりはじまり~
↓
3年で退職し父親に事後報告したら泣かれたった
↓
米国から帰国して仕事なく、鬱状態で引きこもり地獄
↓
11か月で9人辞める壮絶な職場のパワハラ地獄
↓
金融関連資格(証券アナリスト・1級ファイナンシャル・プランニング技能士)を取得し、実務経験に基づく知識を整理
↓
母親が怪しい投資話の泥沼に嵌まった!セミナーに凸し主宰者とガチンコ対決
↓
1口5千万円の大口投資家のリストで気付いた“あっち側”と“こっち側”の決定的な違い
↓
失敗を繰り返しながらも給料以外に自力でキャッシュフローを生み出し価値観崩壊
↓
大金を支払い1回り以上年下の起業家に師事して知った、度肝を抜く異次元な “あっち側”の世界
↓
情弱IT音痴オジサンがWordPressでサイトを構築しネットビジネスの世界へ(月間約40万PVのメディアに育てる)
↓
会社員の基本(忙しいアピールして残業等)ができず左遷→部署をたらい回し、で“社内ニート”に
↓
エクセルVBAの習得・実践で社内業務を一変させるも、評価で×喰らう
↓
住宅購入でクソ物件を掴まされる業界の闇に気付く
↓
不動産オーナーとして、案件発掘・資金調達・交渉・契約(入札/落札)・ゴミ屋敷片付け・リフォーム(DIY含)・客付け・裁判等を経験
↓
不動産関連資格(宅建士・賃貸不動産経営管理士)を取得し、実践力と知識を強化
↓
これまで培った知見を直接的に人に役立てたいと考え、従来型の不動産会社と違うカタチで不動産業界に殴り込み
=============
と、なかなか激動の時間を過ごしてきました。
ずいぶんと長い間、私は
「働く」こと=会社に勤めること
「稼ぐ」こと=会社から給料をもらうこと
と捉えていました。
ふつーのサラリーマン家庭で生まれ育った私は、何の疑問も持たなかったのです。
しかし、自分自身で稼ぐ “あっち”の世界を知り、価値観がどんどん変わっていきました。
それは、自分の知識を売り、とんでもない額の売上・利益を出し、それでいて、お客さんからはもの凄く感謝されている、という世界。
私は、自分より一回り以上も若い起業家に教えを請い、これまで累計でウン百万円と金を投じ、自己投資してきました。
師匠の話を聞くたび、
「・・・な、なんじゃそりゃ~」
と私はガツンと衝撃を受けていました。
「こんな世界があるのか・・・ワケワカラン(汗)」
ともう驚きの連続。
私は、憧れを抱きました。
しかし、スグに“あっち”の世界へ小舟をこぎ出すことはできませんでした。
なぜなら、
現実には長い間刷り込まれてきた価値観がメンタルブロックとなっていたから、
また、
かつて仕事がない時の辛さ・怖さの記憶が蘇ってきた(フラッシュバックした)から
です。
それでもこの度、会社のカンバンに依存しない自立への道を踏み出そうとしています。
これまで私は主に、いわゆる大企業で働いてきました。
確かに大企業は、福利厚生など恵まれている部分がたくさんあります。
その一方で、
社内調整とか、
中学校の校則みたいな独特のルールとかお作法とか、
ビジネスの本質とは直接関係ないことがたっくさんあります。
そこにかなりの「時間」や「エネルギー」を費やさなければならない現実。
私は、そんな巨大組織の中で、
「また会議のための会議か・・・」
「(上に)やった感出すためだけの資料作りとかカンベンして~」
「社内の“お作法”とかどーでもいいんだけど・・・」
と心の中でいつも叫んでいました。
生活を維持するための“ライス”ワークで得られる安定感・安心感と引き換えに削られていくココロ。
組織の中で要領よく立ち回れる器用な人間だったらどんなに楽か・・・
と思ったことは何度もあります。
しかし、不器用な自分にとってないものねだりというもの。
俗に言う“無理ゲー”というやつです。
- 自分の不甲斐なさに対する怒り
- 気持ちばかり先走るが何も変わっていない現状への焦り
- このまま年老いていくことへの絶望感
など強い感情が複雑に入り混じっていました。
それでも自分の中に、
「このまま終わってたまるか!!」
という感情の“火種”が残っていました。
だから、日常の無限ループを繰り返しつつも、私は会社の外で少しずつネットビジネスや不動産投資で得た知見を積み上げていきました。
すると、次第に、
培ってきたこの知見を、
自分らしいやり方で、
直接的に人に役立てたい、
という思いが自分の中で大きくなっていきました。
既に年齢は、50代にさしかかりつつあり、もう若いとは言えません。
身軽な独り身ではなく、今や家族を持つ立場です。
- やらない理由
- 踏み止まるべき理由
- 想定されるリスク
挙げたらいくらでも出てきます。
それでも、
「やってみなわからん!やったことしか残らん!」
の精神で、自分の魂を奮い立たせて一歩を踏み出してみようと決めたのです。
今、このタイミングで決断しなければ・・・
- この先も一生決断することはない
- この先も会社に依存し、しがみついていく人生になる
- 会社員生活終了後は、年金頼りに細々と暇な時間を過ごすだけ
- 人生の最期に「あの時決断するべきだった」と絶対後悔する!
と。
私はこれまで、大手金融グループ会社やシンクタンクなどで投融資業務、法務・リスク管理業務、また、アナリスト業務等を経験してきました。
不動産会社での勤務経験はありません。
しかし、不動産のオーナーとして、物件の調査・資金調達・入札/落札・バリューアップ・客付・運営管理等、一連の実務を全て経験してきている当事者です。
また、
金融や投資については、
- 1級ファイナンシャル・プランニング技能士(金融資産運用、相続・事業承継等含む6分野)
- 証券アナリスト(検定会員)
不動産については、
- 宅地建物取引士(宅建士)
- 賃貸不動産経営管理士(試験合格)
といった資格を取得し、その知識を実践に活かしています。
このように私は、自発的に知識を吸収しつつ、
当事者としての経験を有しています。
大切な資産の課題を解決するために最も重要なことは、
「誰に相談するのか」
ということに尽きます。
たとえ、相談相手が大きな組織に属しているとしても、その人自身がイマイチであれば、大きなトラブルに発展することだってあります。
私自身、長い間大企業の「中の人」だったので、大企業の実情が肌感覚でわかります。(“家政婦は見た”状態)
とはいえ、現状、
「アンタこそ怪しいわ!」
とツッコミを入れたくなっていると思います。(笑)
なのでこれから、私の経歴も含めてシェアしていきます。
ダサい自分
カッコ悪い自分
を“フ〇チン” でさらけ出し、
本音ベースで語っていきます。
その方が断然、私のことを理解してもらえると思うので。
その上でなお、
「やっぱ、コイツは生理的に無理だわぁ~」
とか感じるかもしれません。
もちろんその時は、お互いにご縁がなかったということで。
途中で自由に離脱していただいて構いません。
(言われなくともそうしますね。失礼しました!)
ここまでお読みいただきありがとうございました。m(__)m
でももし、少しでも「面白そう・・・」と感じてもらえたら、このまま読み進めてみてくださいね。
ここから先は、私の実体験から得られた気付きをシェアしていきます。
有名大学→大企業で「人生開けた」と勘違い→3年で退職→父号泣
「オレ、ラグビーで花園行きたい・・・」
テレビドラマ「スクールウォーズ」の再放送を観て涙を流し・心が揺さぶられた。
単純な私は、ラグビー名門校かつ進学校の高校を目指した。
でも結果は、あっさり不合格。
悔しさのあまり、力任せにパンチ。
自分の部屋の壁に穴が開いた。
大した準備もせず、根拠のない自信だけは一人前。
「そりゃ落ちるわな・・・」
という根本的な原因に、この時点でやっと気付いた。
結局、無名の(ふつーの)県立高校へ進学。
高校受験の悔しさをバネに、
今度は難関の私立大学に行くことを目標に掲げた。
周りは、
「はぁ?お前、ナニ寝言言ってんだ?(笑)」
「ウチの高校から行けるわけねーだろ!」
みたいな反応。
それでも私は、「今度はやりきったぞ!」という自分への納得感、そして結果が欲しかった。
孤独に突き進んだ暗く長いトンネル・・・
そこから、合格という結果を手にする。
生れてから初めて、「報われた」と実感が持てた瞬間だった。
大学生活を経て就職活動。
当時は就職氷河期だった。
それでも私は、東証1部上場(当時)の大企業から
いくつも内定を獲得した。
「自分の人生、開けたんじゃね?( ´艸`)」
なんて、完全に天狗になっていたことを覚えている。
しかし、入社してから早い段階で、私の小生意気な“鼻っぱし”はいとも簡単にへし折られることになる。
とんだ“カンチガイ野郎”だったのだ。
確かに、難関の就職戦線を勝ち抜いてきた同期は皆、超優秀。
じゃあこの先、10年後、20年後はどうなっているのか。
自分の将来像となるモデルを探すべく、私は巨大なピラミッド組織の底辺から見上げてみた。
すると、「こうなりたい!」というモデルが全くと言っていいほどいなかった。
むしろ、
「あぁぁ、、、絶対こうはなりたくない・・・」
という人ばかり。
辞令ひとつで、
北海道にも、北陸にも、九州にも、何の縁もゆかりもない地にスコーンと飛んでいく。
高額のローンを組んで新築のマイホームを購入した直後だって全くお構いなし。
家族を置いて地方に単身赴任していく先輩を私は何人も見てきた。
超大手企業のブランドやいい給料と引き換えに、会社への依存度が高まっていく働き方。
そして、生き方。
「オレもこうなるのか・・・」
「オレの人生、詰んだ・・・」
と愕然とした。。。。 _| ̄|○
そこから、
「茹でガエルになる前に、飛び出さないと」
という思いが強くなり、3年で退職。
会社を辞めたことは、親にメールで事後報告した。
父親からの返信の書き出しはこうだった。
「突然のことで頭が真っ白になり、涙が出た。」
父親がショックを受けるであろうことは事前に予想できた。
(ただし、泣かれたのは想定外・・・)
中堅企業を定年まで勤め上げた父親からすれば、
「一体どうしてなんだ・・・」
という気持ちが大きいはず。
でも、事前に相談すれば、
引き止められることはわかっていた。
たから、それはしなかった。
米国から帰国して仕事なし!鬱状態で引きこもり地獄
当時若造だった私は、
「米国に行けばなんとかなる」
というすごく短絡的で安易な考えだった。
確かに、米国ではこれまでが嘘のように生活が充実し、この世の楽園のように思えた。
1年を過ぎて年末に帰国。
国際空港での実務経験や900点を超えるTOEICのスコアを武器に、意気揚々と再就職活動を開始。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
むしろ、地獄への入り口。
景気やタイミングなのか、応募できる企業自体が少なく、なかなか仕事に就けない。
平日の日中だというのに、何もすることもない。
いい歳した男が、実家の自分の部屋のベッドの上でただ時間を過ごす。
「オレは、この世にいなくてもいい人間なのではないか・・・」
湧き上がるネガティブな感情。
職にありつけず、部屋に引きこもる日々。
やり場のない怒り。
気が狂いそうになった。
実際、何度も発狂。
大企業をあっさりと辞め、勝手に米国へ渡り、その後実家に居候の身分となっていた私は、父親に合わせる顔がなかった。
そんな私の心情を汲み取ってか、父は私に何も言ってこなかった。
それが当時唯一の救い。
11か月で9人辞める壮絶な職場のパワハラ地獄
結局、また大企業に戻ることになった。
それでもやっぱり、“順風満帆”とはならなかった。
今度は、壮絶なパワハラ地獄。
そこは、会社の自己資金を運用する職場。
目を付けられた人は、
精神的に追い込まれ、
心が折れ、
やがて退職していく。
短期間のうちに辞めていく同僚を私は何人も見送った。
そのパワハラ加害者の上司にあたるオッサンは、たいそうご立派な肩書が付いてはいる。
けど実質は、お飾りの管理職。
“見て見ぬふり”
を決め込んでいた。
やがてまた一人辞め、
ついに“次のターゲット”はこの私に。
もともと、不器用でサラリーマン的な所作が不得手な私は、パワハラに遭いやすいタイプなんだと思う。
職場で罵声を浴びせられ、会議でも激詰めされる日々。
職場にいる1分1秒が緊張し過ぎて、ただ「息を吸って吐く」という当たり前過ぎることが、とても難しいことのように感じられた。
呼吸が浅くて体中に酸素が行き渡らず、
「苦しい、頭がイタイ、吐き気がする・・・」
世界の金融先物市場を相手に億単位の資金を
運用する仕事自体には、面白さはあった。
ただ、鈍感力が自慢の私でも、さすがに精神的に追い込まれていった。
ちょうどその頃は、
長男が生まれて間もない時期だった。
当時の私は、
「今はココにしがみついていく以外の選択肢はない」と感じていた。
なので、極限の精神状態でありながら、自分の専門性を少しでも高められるよう、限られた時間を学びの時間に費やした。
その結果、
- 証券アナリスト
- 1級ファイナンシャル・プランニング技能士
という金融系の資格を取得。
確かに、その瞬間は達成感があった。
でもその後、職場環境が激変したということもなかった。
怪しい投資話の沼にハマった母から勧誘された!セミナーに凸してガチンコ対決
それでも、得た知識が人の役に立ったかな・・・と思えた出来事もある。
例えば、母親を怪しい投資話の泥沼から救い出したこと。
母から初めてその投資話を聞いたとき、私は胡散臭さを感じた。
嬉々として語る様子から、心底母は信じきっている様子。
なので私は、母の熱心な誘いに乗り、投資セミナーに乗り込むことにした。
向かった先は、豊島区の区民センター。
勉強会と称したセミナーで、ゆうに100人以上入る会場はほぼ満員だった。
講師の男は、高身長・イケメン・リップサービスあり。
私とはまるで正反対。
母を含め、女性参加者の目はくぎ付けになっていた。
“目がハートになる”というのは、こういうことを言うのだろう。
結果的に、
ここで展開されるインチキ話に私は憤りを覚え、そのイケメン野郎と会場でガチンコでやり合うことになる。
※この顛末は長くなってしまうので、ここでは割愛します。
リアルで臨場感あるそのストーリーについては、他の被害者(家族)などから、結構反響がありました。
(関連記事)
母が投資詐欺の沼にハマっていた!セミナーに乗り込みガチンコ対決した息子の末路
1口5千万円の大口投資家リストからの気づき
投資案件の組成を行っていた時期もある。
100億円規模の投資案件で、投資可能な単位は1口5千万円。
これに何口も投資するような投資家も存在する。
・・・一体何者?
ちょっとした好奇心から、私はこの案件の投資家リストについて調べてみた。
手にしたリストから浮かび上がってきた投資家たちの共通点。
それは、皆自分でビジネスを所有するオーナーだということ。
同じ人間なのに、なぜこんなにも違うのか?
私はこれまで、やれ英語だ!やれ資格だ!と個人の技能・スキルを上げることばかりに注力してきた。
そのことが、自分の評価・給料につながる、そう信じていたから。
でも、それは単に労働者としての評価基準にしか過ぎない。
(しかも実は、組織内では、そんなスキルなんかよりも、人間関係(社内政治力)の方が、はるかに影響が大きかったりする)
オーナーの思考は、根本的なところで労働者のものと決定的に違っているのだろう。
“自分で稼ぐ”という発想。
労働の時間をお金に換算する“時給脳”ではないのだ。
注力して考えるのはあくまでも、お金を生み出す仕組みを所有すること。
「自分もオーナーになりたい・・・」
サラリーマン思考で、“できない理由”を雄弁に並べるのではなく、オーナー思考で、”できる方法”を考えるようにした。
「まず、自分で稼げる力を身に付けよう。」
私はそう決意した。
今思うと、あの時が自分の人生の一つの転機だった。
失敗しながらも給料以外にキャッシュフローを生み出し価値観崩壊
「自力で稼ぐようになる!」
と決意したからと言って、マンガみたいにすぐうまくいくわけではなかった。
なんせ元が不器用なのだから。
例えば、トルコ製高級タオルの輸入販売を始めようとするも、早速騙されなけなしの数十万円を一瞬で失った。
それでもあるとき、中古品を販売して現金化に成功。
「こんなゴミみたいなモン誰も買わんだろ。」
と疑問に思いながらも出品してみたら、思わぬ高値で売却。
しかも、感謝までされて・・・想定外の出来事。
少額だったけど、自分で稼いだという事実に、
「っしゃー、やったぜー!!!」
と雄叫びを上げた。
職場の お作法をキチンと守り、お行儀よくしていることで、毎月決まった日に“お上(会社)”から振り込まれてくる“俸禄(=給料)”とは、全く意味が違う。
何者でもない自分がゼロから稼いだファーストキャッシュ。
実に感慨深いものがあった。
自分のWebサイトを持つメディアのオーナーにもなった。
全くの異分野だったから、最初は半信半疑。
「IT音痴の自分のようなおっさんのWebサイトなんて誰が見たいんだよ(そんな奇特な人はまずおらんわな)・・・」
というのが正直な感覚。
で、やっぱり成果は上がらない。
「ほらな、それみたことか!」
「オレなんかができるはずない!」
とか、なんか妙な自信というか確信というか。(笑)
でも一方で、世の中には結果を出せている人もいる(らしい)。
「そういう人に教えてもらえたらオレも変われるのかも・・・」
と、かすかな希望を持っていた。
・・・気になる
でも、なんか怪しい
やっぱ、やめとこうか・・・
いや、もしかしたらオレも・・・
待て待て。いい歳したオッサンが何を今さら・・・
試しに講座を受けてみようかなな・・・
うわっ、(受講料)高っか!
これ詐欺じゃね?
振込んだらドロンのパターンじゃね?
・・・でも、やっぱ気になる
みたいな葛藤を何カ月もグルグルと繰り返していた。
だいぶ月日が経過しても、一歩も進んでいない現実。
最後は「騙されてもいいか・・・」という気持ちで大金を投じた。
結果的に、私のこの決断は正しかった。
私が師事したのは、言ってしまえば、
- 自分より1まわり以上年下の若ゾー
- 世の中的には全くの無名
- 学歴とか職歴とか世間一般の判断基準で考えたら私の方がいいくらい
それでも私はその人を師として教えを請うた。
正直、度肝を抜かれた。
「こ、こんな世界があるのか・・・ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル」
これまで、
いかに狭い世界に生きてきたのか、
いかに労働者思考に囚われていたのか、
に気付いた。
けど、ムリもない。
お勉強して、いい大学に行って、いい会社に就職して、お行儀良く働いて、いい給料をもらうか、というのが長年刷り込まれてきた価値観なのだから。
組織で働く人間の大半(99%)は、”お上(かみ)からもらう”みたいな発想。
私は最初、師匠が見せる異次元な世界の話に、面食らってしまった。
なかなか自分の中で消化しきれず、結果も出なかった。
「ネットで月10万円稼ぐ」という目標を立てたものの、それが天文学的に高いものだと感じられた。
それどころか、
ゼロ円→1円にするというハードルですら、
高く高く感じられたほど。
それでも、かすかな「可能性」は感じていた。
だから、録音・録画した師匠の話を何度も聴いて、学んだことをコツコツ実践。
これの繰り返し。
不器用な自分には、これしかできない。
結果的に、ゼロから立ち上げた自分のサイトが月間約40万アクセスのメディアに育てることもできた。
こうした経験からの気付きは、
「誰の話に耳を傾けるか、というのはとてつもなく大事」
ということ。
もしあの時、私が大手の著名コンサルタントみたいな立派な肩書を判断基準に選んでいたら、より高額な費用をかけた割には、納得できる結果は出なかったと断言できる。
左遷→部署のたらい回し→社内ニートになったことでの気付き
会社員としては相変わらずクズだった
- クソどーでもいい仕事を増やして「忙しい」アピールするとか
- たくさん会議に出て“仕事してる感”出したりとか
- 口では「全然休めないよ~」とかぼやきながら、ドヤ顔で“休んでいない自慢”するとか
- 中学校の校則のような社内のお作法を厳守するとか
- 台風が直撃しても定時出社して会社への“忠誠心”を示すとか
私にはそうした“会社員としての基本”
をキッチリやることが無理だった。
やることやって定時になったら空気を読まず、
「じゃ、お先に失礼しまーす」
とスタコラサッサと退社。
当然、「基本」に忠実に行ってきた上司からは疎まれる。
そして “左遷”。
「干される」という言葉は知っていたけど、自分には無縁な話だと思っていた。
なぜなら、仕事さえキッチリやっていれば、そんな目に遭うわけがない、と”たかをくくっていた”から。
でもあの時はまさに
自分が会社組織から”干された”瞬間だった。
そこから、いくつも部署をたらい回しされ、“社内ニート”に。
異動した先でも、パワハラとかモラハラにも遭った。
そんな散々な目に遭って、“サラリーマンとしての至らなさ”を反省したのかというと、そんなこともなかった。
仮にドラえもんの”タイムマシン”で過去に戻れたとしても、上司に忖度して、ヨイショして、付き合って残業して・・・なんてできなかったと思う。
確かに、ココロは折れそう、ではあった。
ただ、私はこの“機会”を利用して、外に出ても食っていける技能を身に付けておこう、というマインドセットに切り替えていた。
あるとき、たらい回しされた部署では、業務上のミスが多発しており問題となっていた。
複雑で非効率な事務処理方法に問題があることは明らかだった。
普段「何でも相談してくれ」と言っていたその部署の責任者に、現場の担当者が実際に相談してみると・・・
「で?」
「どーすんだよ?」
「オマエがやらかしたんだろ!?自分で考えろよ!」
「仕事への意識が低いんだよ!」
と叱責されただけだったという。
大企業ではよくある光景。
こういうとき、普通の会社員であれば、
「はい、おっしゃる通りです。・・・申し訳ありません。」
「今後はミスが起きないよう、私がもっと意識を高めます。。。」
といった感じに、
“しおらしく”振る舞い、“お説教の嵐”が通り過ぎるまで、じぃぃーーっと耐え忍ぶ、というもの。
が、その“基本”が私には到底できない。
「それ、根本的な解決策になってないジャン!」って(笑)
もっとも、その件は自分が直接携わっている業務ではなかった。
だから当初私は、無関係の立場を貫いていた。
現場の担当者達は、日々深夜まで残業し疲弊しているのがわかった。
その様子を傍から見ていて、私の頭に蘇ってきたのは、かつてのパワハラ職場での出来事だった。
あの地獄の職場で精神的に追い詰められ、今にも心が折れそうだった。
実は、そんな私を見かねて、救いの手を差し伸べてくれた人がいた。
その人にとっては私を助けたところで何の見返りもメリットもないはずだ。
でも、こんな私に手を差し伸べてくれた。
我に返った私は、
「今こそ自分が“恩送り(=ペイフォワード)”する番だ」
と感じた。
そこから私は、かつて習ったことがあるエクセルVBAの手法を学び直し、それをもとに作成したツールを提供。
その結果、その業務が一変し、現場の担当者からとても感謝された。
それでも、私の評価は相変わらず低いまま。
自分が疎まれているのだから仕方ない。
複業により会社への依存度を下げていたこともあり、会社員としての評価はもう正直どうでもいい、という感覚。
それよりも、
- 自分が受けた恩のバトンを次に渡せたこと
- 自分の知見が人の役に立てたと実感できたこと
の方がずっと嬉しかった。
会社員不適合者でむしろラッキーだった
ここまで読んでもらってお気づきの通り、私は会社員として全く不適格な人間です。
自分の不器用さに、つくづく嫌気がさしたことも何度もあります。
パワハラに遭ったり、部署をたらい回しにされたり、もう散々でした。
ただ、どんな時でも私は、
意気消沈して、守りに入る、
なんてことはありませんでした。
むしろ、
なにくそ!
今に見てろよ!
とファイティングポーズを取り続けてきたわけです。
不器用だからこそ、身銭を切って学び、
失敗を繰り返しながら、実践してきました。
ちょっと勇気を出して、知らない世界に恐る恐る足を踏み入れてきました。
そのおかげで、
自分の学びや気付きをシェアしたことで、人に喜ばれたり、感激すらしてもらえたりしたことがあります。
大きな組織にいると、
「これは一体何のため?誰のため?」
とわけがわからないルールやお作法が多々あります。
自分に嘘をついて、会社組織の論理を優先させるのではなく、自分に正直に、自分の知見を活かして直接的に人の役に立ちたい、そう思うに至りました。
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私自身はもともと金融分野が専門で、大手企業で事業投資等の実務に携わってきました。
個人としては、自宅の購入や、収益不動産のオーナーとして物件を取得・管理・運営してきた経験があります。
また、実践してきた知識の体系的な整理として金融や不動産関連の資格も取得しています。
それらを踏まえ、「不動産売買」に軸足を置いた事業を展開しています。
不動産の売買取引は、ほとんどの人にとって、一生のうちにそう何度も取引をするものではありません。
もちろん、不動産なので「モノ(物件)」が取引対象です。
しかし、不動産の取引はその人の人生における一大イベントであり、課題を解決する「コト」です。
不動産は身近なものですが、取引は高額で法律・金融・税務などがからんで複雑です。
モノ(物件)だけを中心に捉えていると、人生を大きく踏み外してしまうこともある、ということを経験上知っています。
なので、私は、
- モノ(物件)ではなくコト(課題解決)が中心
- 契約がお客さんとの関係の「ゴール」ではなく「スタート」
という理念のもと、
自分の知見を活かして人の役に立ちたい、と考えメールマガジンで情報を発信していきます。
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追伸
もしかしたら、あなたは将来について悶々としているかもしれません。
特に40代後半以降になると、役職定年・早期退職・定年、そしてその後の再雇用とか今後の仕事との向き合い方を考える機会が増えると思います。
そして同時に、
- 老後資金の準備のこと
- 高齢の親の介護のこと
- 実家の整理のこと
- 相続のこと
など、自分や家族がこれから直面するイベントにおいて、不動産の取扱いについて判断する機会も増えていきます。
そうした人生の課題に対して、私なりの切り口で役立つ情報を発信していきますので、メルマガへ登録してみてくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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